いきいきのびのび個育て育自 by ねばだん

子育ては個育て、育児は育自、という気持ちで、偏見のない、いきいきのびのびとした親と子のあり方を実践中

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8回目の運動会

次男が入学して初めての運動会。
彼にとっては通算8回目の運動会だった。
過去6回はドンケツだった。
7回目は、なんと3位だった!

8回目になる運動会。
彼は終始とてもにこやかだった。
ねばだんがピースサインをすると彼はすぐにピースサインを返した。
テントの下で席に着いているときも、整列しているときも、体操をしているときも

そして、すぐに始まった徒競走も終始にこやかに彼は走った。
結果は、















最下位だった。(^^;

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7回目の運動会

 次男5歳が初めて運動会に出場したのは、ある施設に母子通園していた2歳のときだ。
経営が同じ保育園がそばにあり、その保育園の運動会に参加したのだった。
最初は意気込みすぎて次男はフライングし、保育士方が制止したにもかかわらず全員がゴールしそれでも次男は10馬身以上離されて断トツのビリだった。
全員が戻されて、再びスタートすると今度はさらに引き離されてゴールした。
通算2度の断トツ・ビリだった。

 2回目の運動会は、同じ日に行われた。掛け持ち運動会の始まりでもあった。この後、毎年(2年間)長男と次男の運動会が同じ日になった。
この日は、次男が入園する予定の幼稚園の運動会があったので、初めてのかけっこが終わると早々に運動会場をあとにして駆けつけた。
そこでも次男はフライングして断トツ・ビリでゴールし、戻されて再びスタートしてさらに断トツ・ビリを通算4度経験した。

 3回目の運動会はその入園した幼稚園でのことだった。年少で3歳だった。 長男とのダブル運動会の始まりでもあった。ねばだんは次男の運動会に、ママは長男の運動会へ行った。
この幼稚園で、彼の意気込みは見事に粉砕され、彼はダメな子、できない子を自覚させられ、いじけ虫に完全変身してしまった。
練習時からそういう行動をとるので事前に相談を受けた。
「動かないときは抱っこして連れて行って良いですか?」と。
ねばだんは拒んだ。
「せめて手を引くのならいいですが、抱え上げて強制的に移動させるのはやめてください」と。
で、最初に父兄が見守る総練習(本番さながらの競技)があった。
次男はスタートから尻込み、数メートル走ったところでしゃがみ込んだ。
手を引いても彼は動かず、後続のお友達が2組通り過ぎたところでようやく立ち上がらせられ、手を引かれてゴールした。
本番も同様のことをした。通算6度目の記録的ビリを経験した。

 4回目の運動会は同じ幼稚園の年中時だった。4歳のときだ。
このときも同様だった。(実際は別ブログに詳細を書いているので調べるとわかるんだけど。そのうちここにもアップする^^)手を引かれてゴールした。
総練習と本番と、父兄を前にした通算8度の記録的ビリを続けた。

 5回目の運動会は長男が通う運動会に入学予定児としての出場だった。
ここでもフライングし2度ビリを経験した。通算10回目の連続ビリを更新した。

 6回目の運動会は新しい幼稚園でだ。5歳、年長だ。
このときは、個人走はなくリレーで、彼は2番手に走った。
一斉にバトンを受けた後、彼は体育館のトラックを半周以上引き離され、チームは断トツのビリを体験した。
もう数えるのが嫌になるくらいビリ続きで通算11回目だった。

 そして、今日(10月18日(土))は彼の通算7回目の運動会だった。
今通っている幼稚園に併設されている小学校の運動会に出場した。
これは長男が通う運動会に出たときのような来年1年生という立場ではなく、幼稚園と小学校が完全に一緒になってやるものだった。

入場門前での風景。ここには4年生、1年生と幼稚園(黄色い帽子。中央に次男がいる。)が出番を待っていた。
(写真は非掲載。これで前の幼稚園を辞めさせられたのだから。(^^;)

玉入れは1年生と合同でやった。
(写真は同様に非掲載)

大玉送りは年中から6年生まで全員参加だった。写真は人の顔(肖像)が写りすぎるので待っている光景にした
(非掲載)

そして、いよいよかけっこが始まった。
ねばだんは、写真は記念になるのでレースの全体を写したり、横から撮影して彼がビリであるところを写したくないので正面から狙った。
(非掲載)

ところが保育士が正面にかぶってしまい、これ以上彼は写らなかった
(非掲載)

6名で走り、彼は3位の担当者が彼を所定の位置に連れて行った。
ねばだんは、目を疑った。
3位なの?
横位置から見ていたママに確認した。
早かった!3位だった!!
とママが言った。

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           333           位だよ!!!

もう驚喜狂乱!!!!! 

狂ったように彼をほめちぎり、次男は彼の人生で初めて自信をもったようだった ^^


           2008.10.18の日記

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だれも<特殊>を望んでいない 

 成人するとそうでもないかもしれないが、次男3歳3ヶ月を見ていると、人は<ひと>とは異なる特殊な状況に自分自身を置くのは厭なんだということがわかる。
平たく言えば、<みんなと一緒>の自分が最も心地良いってことだ。

身近な例で言うと、家族の誰かが目覚めていたら自分も起きていたい、ご飯を食べるときも<みんなと一緒>、家族の誰かが飲み物を飲めば自分も飲みたい、そんな感じだ。

たとえば、我が家の食事時は大変だ。
パパがビールでも飲んでゆっくり食事をしようものなら本人も飲んでばかりで一向に食事が進まない。

だから、パパはほとんど食事中にお酒は飲まない。
時間外に飲んでいる。笑

また、食事中はなるべく彼のペースに合わせないとならない。
お兄ちゃんはそんなことができないからサッと済ませることが多いが、そうすると椅子の上に立ち上がって本当に全部食べたのかとか、食器をシンクに入れなさいなどとそわそわして食事が中断されてしまう。
そして、終いには食べずに終わってしまう。

 彼は入園前に、つまり今年の3月末頃から急遽お箸の訓練を始めたのでまだ満足に使えない。
それでも<ひと>が箸を使っていれば自分も箸を使いたがり、それがうまく行かないといじけるようだ。

全くもって親の都合で子供がしつけられ、苦しんでいるのは子供なので申し訳ないという気持ちになる。

 このブログのプロフィールを年表にしてみたいと思っているが、彼はずっと特殊な施設ばかり通わせていた。
そして、その中で<みんなと一緒>がこの子にとって最も望ましいのだとわかり、普通の幼稚園に通わせるようにした。

そのために、幼稚園側の要望に従って療育手帳の申請もした。

 望ましいのは<みんなと一緒>だ。
だれも自分自身が<特殊>であることを望んでいない。

それでも<特殊>であると認定して<みんなから引き離す>のは社会なのだ。
本当に社会にはそんな権利があるのか?このことは、ねばだんの大いなる疑問である。

 彼は現在、幼稚園で自分自身と葛藤している。
<みんなと一緒>が楽しくて仕方がないのにそれが満足にできない。

具体的には、歌が歌えなくて最初の頃は大泣きしたそうだ。
お遊戯のときは今でも輪から離れて見ているそうだ。

グループで作業をするときはテーブルの下にもぐり込むそうだ。
それらは<みんなと一緒>にしたいのに自分自身の力が足りなくて葛藤しているのだ。

救いを求めているのだ。
親がもっと頑張れば良かったとは思うが、それどころではないというのも正直なところだった。

では、どういう解決策があるかと言えば、
社会の仕組みを変えなければうまく行かない。

人々の意識もそうだが、何より基本的にゆがんでいるのは年齢で人を横並びにすることだ。
つまり6歳になれば小学校に入らなければならないということに始まる横並びである。

成長の早い子も遅い子も横並びだ。
一見平等のように見えてこれは決して平等ではない。
人を見ないで制度だけを優先しているに過ぎない。

 たとえば早生まれという問題がある。
4月1日に生まれた人間と4月2日に生まれた人間は教育のスタートが1年も違う。

一方には無理が生じ、もう一方には無駄が生じる。
こんなことで人を平等に扱っている気になっているようじゃ社会もお粗末だ。

子供ひとりひとりに合わせた教育が必要なのだ。 

 子供の成長に合わせた教育を心がければ彼もこんなに苦しまなくて済む。
もっと楽しく人生を送ることができる。

 少子化対策などと言っているが、単なるカウントの問題、税収の問題しか考えていない。
豊かな社会、人々が幸福になる社会を考えずに「産め」というのは無理な話だ。

 ま、そんな叶わぬことを言っていても彼が置いてきぼりを食うばかりだ。
何とか彼に<みんなと一緒>の喜びを共有できるように努力していこうと思っている。


           2006.05.25の日記

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帰宅、今日の様子 … 先生の目を意識する 

 今日の帰園時、次男3歳の様子は、とっても楽しそうだった。
なんで朝方はあんなに泣くんだろ。不思議でならない。

相変わらず上靴と靴の履き替えはいまだにうまくできない。
それに、帰る道々、園の庭を通るが、素直にまっすぐ歩くことがない。

足を横に開き、あるいは縦に伸ばして地面に線を引こうとする。
遊具に近づけないとわかるとしゃがみ込んで動かなくなる。
この幼稚園では唯一我が子だけと思われるが帽子も鞄も着用しない。

まあまあそのようなことも追い追いできるようになるだろう。
回りに迷惑をかけるのは申し訳ないとは思うが、今しばらく許してやってください。

 帰り際に先生から今日の様子をひとつふたつ聞くことがある。
今日はあるリハーサルをやって、一斉に立ち上がったり座ったりする練習をしたそうだ。

そのとき一斉に座るのは何とかやったらしい。
立ったままだと目立つから。

ところが、一斉に立ち上がるときに知らん振りして立ち上がらなかったそうだ。
でも、ふと先生と目が合った瞬間に立ち上がったというお話を聞いた。

社会生活を学び始め、少しずつ気持ちを社会に合わせているんだという気がした。
そのうち規律を守る心地よさもわかってくるだろう。そして、その逆も。

少しこちらも楽しくなってきた^^


           2006.05.25の日記

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大人が子供に「おはようございます」と言えるか 

 市が運営する「発達障害がある子供たちの母子保育」に1年間通ったことがある。

そこでの朝の挨拶は「おはよう」だった。
気づいてみるとこの春から通い始めた幼稚園での挨拶は「おはようございます」だ。

で、これはどういうことかと言うと「おはよう」はおとながこどもに向かって発している会話なのだ。
「発達障害…」では単に子供がおとなの会話を真似て「おはよう」と言っていたのだ。

いかにも尊大な心がここで育ったと懐古する。

 一方、今次男3歳が通っている幼稚園では先生やお世話の人々が一様に「おはようございます」と子供たちに挨拶をする。
それは子供たちに「おはようございます」という言葉を言わせるためだ。

と、ねばだんは解釈する。
要するに、おとなの目線で子供を育てるか、子供の目線で子供を育てるかの違いだ。

 おとなの目線で子供が育つわけがなく、子供の目線に立たなければ子供は見えない。
ひとりひとりの目線に立たなければひとりひとりは見えない。


           2006.05.25の日記

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